セミナーブログの見分け方。 ― 2017/09/06 11:26

こんにちは!キレイより美しさをめざす独自撮影法で30年☆イイカンジ写真家の伊東です♪みなさん今日もイイカンジですか〜!?
そんな出だしで始まるブログが好きになれません。
「こんにちは。○○○の△△です」
それは初めてだと良くても、二度目や三度目の人には
「△△です」
だけでわかるでしょ?
それとも毎回初めての人を対象にしてるんですかね。
いちばん最後に
「セミナーのお知らせ」
「メルマガ登録」
が出てくるブログも苦手。
どんなにステキな内容が書いてあっても、
いままで読んで感動した文章ってこのための宣伝だったの!?そう思ってしまう。
そしてたいていの場合、この2つはセットになっています。
このフォーマット、いつからできたんですかね!?
これが「売れる黄金コース」とでも言うように
雨後の筍みたいに(ああまたかー)って。
そのフォーマットが安心できるのはわかったけど
そろそろ飽きませんか。読み手は飽きてると思いませんか。
読みたい雰囲気のブログがあると、
まず最初の出だしに注意します。
するとやっぱり自分で肩書きやキャッチコピーが書いてあって
(ああ、こう思われたいのね)
って思ってしまう。
警戒しつつも(イイコト書いてあるなー)って読んで
最後に予想通り宣伝があると
(ああ、これが本題なのね)
って感じる。
一番言いたかったのって、毎回書いてるこれですか?
みたいな。
僕がへそまがりなのかもしれない。もしかすると、ほんとうに世の中を良くしたいと思っているかもしれないし、悩みに応えたいと思っているかもしれない。
その「役名肩書きの付いたテンプレ挨拶」は毎回必要ですか?
必要と思うなら「なぜ」ですか?
相手のことより「自分都合」の理由が大きすぎやしませんか。
その「最後に毎回同じセミナーご案内」はどんな読み手を想定してますか?
立ち話する近所の人が「良い集まりがあるのよー!」
話の最後に毎回誘ってくるとしたら、
その人をだんだん避けたくなる気持ちがわかりませんか?
カウンセラーやコンサルタントやセミナーや。
その方たちのブログが見事に同じパターン。
ついでにプロフ写真も同じパターン。
伝わってほしいのは自分のキャラクターではないですか?
読む人を安心させたいんじゃないですか?
自分が安心してどうするんです?
「自分のこんな面を見せたい」
見てほしい自分の一面だけを見せ続ける。
言いたいことだけ言い続ける。
だけど実は「見えちゃった」部分にこそリアルな本質がある。
たとえばこんな経験ありませんか。
頭がすごく切れる人のドジ話。
「逆の電車に乗っちゃった」とか
「携帯落としちゃった」とか。
学校の先生の授業中の余談とか。
授業に入るための枕じゃなくて、ほんとうに余談。
そんな話を聞くと、「先生」と呼んでる人も
「あー、人間なんだー」みたいに、
すごく親近感が湧いてきませんか。
これ、僕もよくやりがちなんですが。
「ミスや失敗は誰でもある。大切なのはその後なんです」
そう書いたりするのと
「会議に遅れそうになって電車に飛び乗ったら反対行きでね」
そう話すのとでは、
言いたいのは同じ内容だけど、違いますよね。
リアリティが。
引きつける力が。
その先を聞きたいと思いませんか?
それが最初のだと
(どうせご教訓につながっていくエピソードなんでしょ?)
みたいな見え方になってしまう。
もったいない。実にもったいない。
今日「ミスや失敗は誰でもある。大切なのはその後です」を言おうと思ったのはなぜでしょう。もしかすると「会議に遅れそうになって電車に飛び乗ったら反対行きだった」ことがきっかけだったりしませんか。
だとすれば、そのまま普通に順番に書けば自然に伝わるんじゃないですか?
失敗したその次の瞬間に
(このネタをふくらませてブログを書いてやろう!)
って思うから、
その意図がまるまる相手に届くんじゃないですかね。
「話をふくらませる」=「自分が安心」=「あざとい」
表現の世界に生きていると、視覚や聴覚や、あるいは演技で
そういった部分を敏感に嗅ぎ取ってしまいます。
人の話は客観的に聞くことができても、
なかなか自分について上手に発信するのは難しい。
カウンセラーやセミナー講師と呼ばれる人もそうです。
むしろ「先生」と呼ばれる人のほうが気付きにくい。
控室で何度も会っている担当者に見せる顔と世間話。そのあと登壇して大勢に見せる顔と話しぶり。違いすぎてませんか。リアリティ無いですよ。意気込みカラ回りした「伝えるための動き」になってしまいがち。もっと自然体で出しても伝わりますよ。むしろそのほうがぐんと伝わる。
張りきった声も良いですが、ぼそぼそ喋っても聞き耳を立ててくれる。好奇心があればそうなるはずでしょう。
会場には自発的な人ばかりではなく、連れてこられた人もいます。時間を無事に過ごしたいと思っている人は、表面的に好ましい反応を見せてくれます。でも、身につかない。...まあ、簡単に身につかないから何度も呼ばれてお仕事があるんですけどね。
ほんとうに自分より相手のことを考えているなら、「こんなセミナーさっさと卒業してほしい」身につけてもらうことが社会を良くすることにつながっていくんじゃないかしら。
自分のため社会のため...そう言ってセミナーを開き、やがて指導者を養成し、セミナーが増えて自分や社会がどんどん良い方向に向かって行く...とってもすばらしい!
しかし実際は、セミナーを開き、指導者を養成し、そのたびにお金を集め、免状を発行し、年会費を集め、組織の収入が増え...自分たちのためが見えてしまう、いわゆる資格ビジネス化に向かう団体があるのも残念なことです。当事者は総じて否定するけど周囲からどう見えるかですからねえ、表現って。
冒頭にあげた「肩書きで始まってセミナー案内で終わるブログ」の人たちの傾向を見ると、後者のような組織とつながりがあるものが多いんです。
逆に、ほんとうに一緒に悩み考えている人は、もっと堂々と文章を始めて、終わりもきちんとしています。
よーく考えてみてください。
ほんとうに良いものだったら、自分から進んで知りたいと思いませんか?
本文に毎回毎回書かなくても、あなたの肩書きはブログのタイトル下やサイドバーに表示されていますよね?それでも言い足りない気がしますか?自己暗示のためですか?
セミナー案内はサラリと書いて「お知らせ」や「セミナー」という別のタブに入れておけば良いでしょう?じゃないと、がっついてるみたい。人が集まらなくて誰かれかまわず読んだ人全員に声かけてるみたいに見えると、せっかく良いことやってるのにもったいないし、品が無く見えますね。
それとも「こんなことをしている自分を知ってほしい」という意図ですか?それなら大丈夫。そっくりそのまま伝わってますよ。
僕のまわりの活躍する人たちは、ブログを集客ツールとして考えていませんね。普通に思ったことを感じた通りに書く。その結果、ブログが勝手に集客ツールになってしまうんです。
ここなんです。
「伝える ≠ 伝わる」なんです。
少しでも狙いがあるか、全く狙い無く書いてるか。(※)
そこで伝わり方が変わるんです。
演技も写真も、みんなおんなじ。
伝えようとすると、あざとさが伝わってしまう。
自分の都合が先に見えてしまう。
おもしろいですね。
※ 正確には、ブログに書く時点で「全く狙い無く」じゃないです。その狙いを見せない、出さないようにして書くことで自然な感じに伝わります。ちなみに隠そうとすればするほど見えてきます。「自然に」と「出さずに隠す」の違いがわかりますか?表現全般の共通点が見えて面白いですね。