「エンドレス・ポエトリー」2017/12/05 14:28




映画「エンドレス・ポエトリー」観てきました。 
ストーリーや画面や編集を気にする前に引き込まれて、まるで舞台を観てるようにたくさん問いかけを受けて...。とても濃密な時間でした。
 
アレハンドロ・ホドロフスキー監督
「エンドレス・ポエトリー」(R18+)
 
岡山で一週間だけ、1日1回最終上映のみ。
これはマニアックな映画なの?
 
予告編を見て何か感じた。言葉にするのは難しいし陳腐になるけど、「演劇的」「天井桟敷」「暗黒舞踏」そんな単語が浮かんだ。
 
月曜は男性1200円。この映画館でこの時間、まずまずの入りかな。
 
演劇やコンテンポラリーダンスを見続けて30年。 
いきなりどんな画面が来ても
いきなりどんな展開になっても 
ちょっとやそっとじゃ動揺しないぞと身構える。
だけど、あまりに自然に始まった。
 
(あ、普通に観ていい映画なんだ…)
 
構えを解いて、のんびり見はじめる。
やがて「それら」が少しずつ顔を出しはじめる。
 
やりすぎ、ありえない、狂気、エログロナンセンス...
 
言葉じゃ到底説明できない「それら」が
極めて自然に織り込まれて出てくる。
精神のジェットコースターに乗ってるように
カタカタと上っていく。
 
(もうたぶん、ふり返ることはできないだろうな…)
 
物語に引きずりこまれて身をまかせる快楽。
最後の力をふりしぼって腕時計を見た。
 
(まだ開始15分!?)
 
抵抗を諦めた。
もう、どこにでも連れてってくれ。
 
 
途中やや正気に戻る瞬間もあり、
そんなとき必死で我に返ろうとする
 
(これは竹内銃一郎ぽい展開だ)
(このシーンは大駱駝館ぽいぞ)
 
そのシーンの何がそう感じさせたのか
解き明かそうとする前に再び全身に快楽が訪れて
力が抜けた我が身を預けてスクリーンの中に溶け込む
 
...なんだろうこのリアルさ。
舞台を客席で見ている感じと完全に同じ。
はやり言葉なら、ボツニュー感って言うのか。
 
とても濃密な時間だった。
 
 
 
自分はこれまで作品制作の時に
【ほど良い加減で、適切な程度】
「さじかげん」を心がけてきた。
それは簡単そうでとてもむずかしい。
やり過ぎたり足りなかったりする。
 
撮影露出の1/2や1/3のこだわり
現像の0.5度、10秒違い
印画紙に光を当てる0.2秒
マルチフィルターの0.5番
覆い焼きや焼き込み具合
展示フレームのアルミ枠の幅
オーバーマットの白紙の輝度
...それはもう、すごくたくさん。
 
 
微妙なところを追求し続けるのもいいけど
いちど大きく外れてみても良いかもしれない。

映画を観てそんなことを思った。
 
写真を入れる額は白や黒や銀が多いけど、

赤い枠に写真を入れたらどうかしら?
それを赤い壁に飾ったら?
その部屋が赤い部屋だったら?
だったら部屋全体を赤く塗ってみたら?
 
あぶないあぶない...
どこかに行ってしまうところだった。
 
   
「小さくまとまるな」
 
今年亡くなった書道家の先生が、ご自身の作品で語っていたこと。
  
「さじかげん」
「小さくまとまるな」
 
これからのテーマになりそう。
 
 
 
(え?それアリなの!?)
 
思ってもみなかった展開は
「やってみたらどんなだろう」から始まる。
それが最適解になるまで、練ってはトライ&エラー。
身体感覚で「さじかげん」をつかんだら
突然の発露でも、ぴったり収まってしまう。
 
でも、それで完成じゃない。
今までにとらわれない。
自分の過去の失敗にふたをしない。
過去の正解にひきずられない。
 
今までを壊すように見えるかもしれない
けれど人生、やってみたもん勝ち。

 
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若者には「小さくまとまるな」と言い、年寄りには「経験を積んだ『さじかげん』が見たい」と暗に願う。お年寄りが過激な表現をするのは「小さくまとまるな」を体現してるのかも。