表現の最大効果 ― 2017/07/25 14:30

表現の最大効果 
  
 5月に個展、7月にグループ展をやってわかったこと。
  
 【自分は観に来る人を単純な安心だけで帰したくない。】
  
 劇場で椅子の背にもたれて(さあどんなふうに楽しませてくれるかな)というエンタテイメントだけじゃなく。(え?)自然と前のめりに引きこまれるような。
  
 たとえばお芝居を観た帰り、ちょっとだけ他人に優しくなれるみたいな。
  
 そうなるとお芝居も写真展も、見に来た人に刺激を与える道具でしかない。けどそれでいいと思ってる。
  
 「きれいなだけじゃしかたない」
 「ばっちり決まっただけじゃしかたない」
  
 ずっと思ってきた一方、
【それをやりきってみてもいいんじゃない?】
それも見てみたいよと言われ、たしかにそうだと思った。
  
 「なんのため」「誰のため」は常について回る。誰かのため、なあんて思っていても、自分のためであることは明白だ。
  
 「なぜ写真展やるの?」
 「それはあなたにとって何なの?どんな位置付け?」
  
 たとえば心地良いとき思わず出た歌に、それを聴いた人が思わず楽しくなる。もっと楽しくなってもらおうと歌を歌うと、聴いた人はもっと楽しくなる...とは限らない。
  
 表現の最大効果はどのようにして得られるのだろう。一見逆向きの深い表現を掘っていけば、ぐるっと一周まわって返ってくるんだろうか。豊かな表現ってなんだろう。非言語ツールを手にうまく遊びたい。
  
 自分は記録の人のようで、思考も記録したい。そこに「わかってほしい・かまってほしい」が存在するとは意識していないが、ではなぜこの文を公開するかと問われると返事に困る。きっと読んで下さる人だって困るだろう。
  
 ん?
出ちゃったもの?
それが表現てことか?



