その数字はどう見る?2016/06/03 23:51



  
「憲法改正に賛成ですか反対ですか?」
「XXパーセントの人が改正に賛成です、反対です」
   
どの部分をどう改正するかわからないと、
そもそも賛成とも反対とも言えないと思いませんか。
   
XXパーセントという数字。
多いでしょうか、それとも少なく感じるでしょうか。
  
前回と比較?前年と比較?
比較対象をどう設定するか。
あるいは
「まあそう思う」「あまりそう思わない」など
誘導的なものを含めた数字になっていないか。
   
「作られた世論」に安易に引っかかってしまう。 
   
  
いまここに、
学力的に平等に分けられた
10人のクラスが二つあるとします。
一定期間授業後、クラスで試験をしたところ、
どちらのクラスも平均点は50点でした。
どちらのクラスの先生も教える実力は同じでした。

はたして、ほんとうにそうでしょうか。

一方のクラスは40点が5人で60点が5人、
他方のクラスは0点が5人で100点が5人だったら?
それでも平均点はどちらも同じ50点ですよね。
  
「どちらも平均点は同じでした」では読めない真実。
でも、きれいにまとめられていると
「なるほどなあ」つい思いこんでしまう。

新聞やマスコミや、あるいは逆に反対する人たち。
その「数字」は、はたしてマトモなのか。
マトモだとして、必ずそう言いきれるのか。

自分の頭でしっかり考えないと、
操作や誘導に引っかかって、
間違った世論や風潮が引き起こされてしまいます。
  
   
   
小さい頃から公文式を習っていて、
数字も算数も好きでした。
算数が数学になってから、
「二乗してマイナス?虚数?なにそれ?」
興味を失ってしまいました。
   
ところが最近、報道やネットを見るたび
「XXパーセントの人が...」
「このことから...と言えますね」
うっかり「いいね!」って言いそうになってしまう。

(え?ちょっと待って!)
(なんじゃそりゃ?)
(ほんまか?)
(必ずしもそう言いきれない...)
(こんなトリックに引っかかるの?)
  
そして、ふたたび扉を開けてしまったんです。
  
関数電卓という新たな「武器」を持って。
      
  
いまさらそんなもん開けてどーすんの!?
けど好奇心の扉って、たくさんあるんです。
まにあうかなあ.....
もっと学生時代まじめにやっときゃよかったなあ。 
   
...しかしこの扉、かなり重いですね...。
(ばりばりの文系です)
   
   
今日知った名言。
   
There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics. - Benjamin Disraeli (1804-81)
   
「ウソには三種類ある。単なるウソ、糞なウソ、それに統計だ。」  ベンジャミン  ディズレーリ