「あしたは最高のはじまり」 ― 2017/12/02 05:27
【今日見た映画】「Demain Tout Commence」
邦題「あしたは最高のはじまり」
2016年フランス・イギリス 117分
実体験に近いシーンがあることを予告編で確認。つらくなれば出たらいいと思い朝10時シネマクレール。
フランス映画は人と人の思いや気持ちを描くものが多い。自分の気持ちで自分の行動が変わり、相手の気持ちで相手の行動が変わる。気持ちで自分と相手の関係性が変わる。
人が人を想うとき、良かれと思うことが少しずつズレてゆく。気持ちの葛藤が描かれる。
子供が父親と遊ぶシーンで涙が止まらなくなる。法廷で親権を争うシーンで嗚咽。ちょっとした荒療治だ。
フランス語は音がやわらかい。音楽のように耳にやさしく響く。少しフランス語を勉強したが、耳に響くやさしい音をいつも楽しんでいた。
今回の映画は結構聞き取れた。耳に入る音が綴りになって頭の中を流れながら次々と和訳される。字幕にないニュアンスが伝わってきて、さらに涙。
そうだった。この「ニュアンス」を知りたかったから、伝えたかったからフランス語を勉強したんだった。
終盤まさかのストーリー展開で映画は終わった。
予定調和の明るい解決を見せず、「その後」は見る人に感じさせ考えさせる。
フランス映画が好きでない人はここが苦手らしい。
エンドロールが流れる中、頭の中でいろんな回想シーンが流れる。映画と実体験が混ざって気持ちぐちゃぐちゃ。それでいい。揺れたときは自分の気持ちを抑えない。その気持ちは持ってていいし出していい。
自分の気持ちを出すことは、相手に気持ちをぶつけることじゃないんだ。伝える変換がそこに要るんだよ。
それは我慢じゃなく寛容。相手を受け入れるって、自分が負けるわけでも、折れるわけでも、無くなるわけでもないんだ。
「こいつは何を当然のこと言ってるんだ?」
「ちょっと理解がついていけない、難しい」
それでいい。考えも理解も人それぞれのもの。
青い空と白い雲。ちょっと遠回りして帰ろう。
揺れる心は自分のもの。相手の言動は相手のもの。
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相手の言動で自分が揺れたとき。
「私を怒らせるような言動した相手が悪い」
その考えはとても簡単で楽ちん。
なぜなら今の自分を全く変える必要が無いから。
でもそれだと、相手の言動を不快に感じたとき、
相手を責めて相手に変わるよう求めてしまいます。
人はそれぞれ価値観も考えも異なります。
自分の価値観や考えだけで他人と関わろうとすると
自分と似た環境の人としか話せなくなってしまう。
同性で自分と近い年齢...それ以外の人と関わると
みんな「変わってほしい人」になってしまう。
他人と違っていても自分は自分。
ならば
自分と違っていても他人は他人。
(自分と違うけど、そんな考えもあるかもしれない)
すぐイライラする人と、あまりイライラしない人。
人によって感じ方が違うのは、この部分の差なんです。
相手の言動で揺れたとき。
揺れたのは自分の気持ちで、
気持ちを揺らすと決めたのも自分。
相手の言動は、ただの「きっかけ」に過ぎません。
(自分とは違うけど、そんな人もいるかもしれないな)
それだけでイライラも減ります。
気持ちをわかってほしいなら、
ぶつけなくても出せばいい。
冷静に話せば伝わります。
すぐできなくても、それも個性。
心に留め置くだけでずいぶん生きやすくなります。
気付いたら自分の心が成長してる。
自分が少し変わってる。
そう。
人を変えるより自分が変わるほうが楽なんです。
自分の認知を変える。関係性が変わる。
Demain Tout Commence
明日は新しい一日。