内面と外面の視点。 ― 2017/04/16 13:09

野球場に迷いこんだ猫の写真が話題になりました。
迷いこんだ様子は動画で伝わりますが
迷いこんだ猫の写真もずいぶん拡がりましたね。
迷いこんだ様子は動画で伝わりますが
迷いこんだ猫の写真もずいぶん拡がりましたね。
どこの社の写真が良いとか迫力があるとか...
たとえその写真がトリミングされたものであっても
その写真で行く!と決めたデスク判断はすばらしいと思います。
写真を見る人は「野球場に迷いこんだ猫」という状況と
「スポーツカメラマンが撮って紙面に載った写真」という
バックグラウンドを意識に持ちつつ写真を見ます。
その結果「躍動感がある」「一瞬をとらえている」
写真を見てそう感じるわけです。
画面に写ってないものまでを見たり鑑賞したりできる写真の良い例だと思いました。
話は全然変わりますが。
最近、ダンスや殺陣芝居を撮っていて思うんです。
ダンスも殺陣も、
「かたちの変化」や「速度の緩急」によって
見える、あるいは見せる。
同時に、その内面の心の動きも感じられる。
写真と、とても良く似ていると思います。
構図をどれだけきちんと作り上げるか。
しかし、その整った美しさだけで良いのか。
内面が揺れて伝わってほしいと思わないか。
いくら完璧なダンスあるいは珍しい形、不思議な動きをしても
いくら完璧な殺陣あるいは見ばえのするアクションしても
そこに感情が見えたり心の揺れが伝わってこないと
どこか醒めて見えてしまうのです。
「ああ上手だね」
「気持ちよさそうだね」
「バッチリ決まってよかったね」
どこか他人目線で斜に構えてしまう。
心の動きまで見えてくると、こちらの心も揺れます。
なんてせつないんだろう...指先の動きまで見てしまう
なんて許せない悪党だろう...足先の動きまで注視しちゃう
動き始める直前のダンスの始まり
斬りかかる直前の殺陣の始まり
そこには人の営みや思い出や寄り添うことや
そこには欲にまみれた身勝手な裏切りや
静かに悲しくせつない思いで身体が動く
静かに怒りにふるえて身構え身体が動く
そこにある「かたち」や「うごき」には無いけれど
そこに見える登場人物や作者の思いが伝わってくる
そこがとても大切だしイイカンジで愛おしい部分。
僕はそう感じています。
人の「かたち」や「うごき」って不思議。
最近は、街を歩いたり、家で掃除していても
(ん?この動きや形は不思議だ!おもしろい!)
発見でニコニコしています。


