土曜つらつら。2017/11/18 10:33





図書館のような喫茶店のような机。するする書いた手がぴたり止まって白い紙とにらめっこ。短い話を作る課題の最後が決まらない。ラストシーンの映像が浮かぶが、どれもあきりたりか狙いすぎで、つまらないかあざとい。

不意にひらめいた。これならオチも付く。「しかしその卵は腐っていた。」書き終えたとたん「そうなると思った!」ペンの行方を目で追っていたMちゃんが、向かいの席からニッと笑った。「イトッペは絶対食べものネタで来ると思ったんだよね〜!」食いしんぼうのMちゃんだ。きっと彼女も食べものネタだろう。ニコニコ顔に向かって(そっちは何書いたの?見せてよ!)と僕は言うだろう。言う前からわくわくする。どんな話だろう。この時間がたまらなく愛おしい。
...良い気持ちで目がさめた。


いまだに小学校時代の愛称で呼ばれるのは照れくさくて恥ずかしい。こんな感覚ってなんて言うんだっけな?あ、おもはゆいだ。面はゆい...へえ、そう書くのかパソコン便利。これだと頭が悪くなるな。だって覚えなくて済むんだもん。知らない場所も現在地もナビ地図があるから安心だし、電車の経路や乗り換えも瞬時に出てくるから考えずに済む。
 
それで、その空いたワーキングメモリは何に使ってるんだろう?


「細かいことは考えない」「明るく楽しいことを思う」「嫌なことがあっても日常の小さなことが幸せに思えたらいい」「一晩経って忘れてまた新しい自分」どれも部分的に共感できる。だけど...それじゃ哲学とかどうなっちゃうんだろう。宇宙の始まりとか空想するのも、つまらないムダなことなのかなあ。

現代は調べれば瞬時に答えが出る。けれどそれは先人が対峙して仮説を立て実証してきたもの。今は新しい問題に直面していないとでも言うのか。あるいは先人の答は今も正解と言える保証があるのか。時が流れ価値観が変わると答も変わることがあるけど、その姿勢だと後追いにならない?


起きる寸前に見た夢はリアルで、机の模様まで覚えてる。すべて視覚化されたカラー映像で、画角や被写界深度の具合まで再現できそうなほど。

シリーズ物も多い。もちろん現実に存在しない世界。それらは夢が始まったとたん(あ、今日はこのシリーズか)まるで番組が始まったように思う。(それで今日はどんなお話なわけ?)とも思う。今回おそらく単発だろうが、もしかするとシリーズ化するのかもしれない。


夢占いがネットでいろいろ見つかる。「へえー」なんて面白半分に見たりするけど、これ、れっきとした心理学なんだって。「ユング心理学」の夢分析。そういえば、はるか昔に習った気もする。なんにも覚えてないし常識無いなオレ。

占いと心理学の境界についても最近興味ありまくりだ。「しいたけ占い」ってよく当たるな〜…と思っているけど、あれは心理学なんだってどこかで読んだ気する。

たしかに心理カウンセラーの部屋に行って「あなたはこういう傾向があるのでこういうことに注意してなんたら…」なんて言われたら反発しそうだが、占いで読めば(どうせ占いだから)軽い気持ちで入っていってズブズブ(うわああ当たってるう!)となって、その次の対処法とかラッキーアイテムとか熱心に読んじゃうよね。
 
先日観た「空晴」の舞台も、うまい感じで気持ち良かった。見る人の心にスーッと入ってくる。物語の内容の前に、この部分が取り組みだったり仕掛けだったりするよね。

お芝居を観ているうちに物語に引き込まれ、登場人物の反応にドキドキしながら(自分だとどうするかなあ)気付いたら自分に重ねてたり。結果や別の選択肢や、それに対する相手の反応やその裏側にある相手の気持ち...これはもはやロールプレイングに参加してるのと同じ効果じゃない?なんだっけよく知らないけど心理行動療法?みたいな効果ありまくりな気がする。


メール、チャット、スマホ、SNS…コミュニケーションの合間にツールが入って来て、自分の細かな気持ちを言葉にすることはもちろん、文字にさえするのもスタンプや絵文字にまかせてしまって、苦手になってしまった。当然、相手の気持ちのみならず自分の気持ちにさえ鈍くなっていくだろうし、相手に伝えることもどんどん苦手になるだろう。

最終的に誰かが助けたり救ってくれるわけじゃない。自分の足で立つしかない。傷つくようなことを言われて必死に「相手はそんなつもりじゃないはず」「だから傷ついちゃダメ落ち込んじゃダメ」必死に自分の捉え方にダメを出し続ければ疲れてしまう。「人それぞれ」なんだもの。傷ついたり落ち込んだりすればいい。それが自然な感覚じゃない?
 
そのとき自分を責めない。相手も責めない。「そんなつもりじゃない」「傷ついた」それは相手に伝えるし、相手もそれを認める。おたがいその上で歩み寄りを探していく。


だから「今のままでいいんだよ」も「悪く考えたらだめ」もある意味正しい。しかし「悲しいときは悲しくなっていい」と言う人が「考えるなら楽しいことを考えよう」は誤解を招く言葉じゃないかな。「私はこうしてポジティブシンキングになりました!」も、それは自分の例に過ぎない。

人はそれぞれだ。だから「どうせ一生過ごすなら楽しく考えたほうがラク出し得だよ」と言ってしまうのも、なんだか寄り添えてない気持ちになって眺めてしまう…そんな土曜日。


迎合や同調でなく、反発やマウンティングでもなく、つかず離れず相手に寄り添う。少し離れてるかもしれないけれど、いつでもここにいるから安心してねー。そういったシグナルを発信し続けたとしても、相手の感度によって受け取り具合は異なる。良い悪いじゃない。

誰だって波はある。だから「ここまで受信しました〜次送信どうぞ〜」パケット通信みたいに受取シグナルを送ることも大切だし、それを確認して次を送ることも大切だと思うんだけど、現実なかなかそううまくいかない。

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