手段の目的化は誰のため? ― 2017/11/27 11:09
時計を売って彼女の長い髪につける髪飾りを買ったのに、彼女は自慢の髪を売って時計の鎖を買った。「賢者の贈り物」オー・ヘンリー。すぐ調べることができてネットは便利。
この話が賢者であるかどうかの議論は置いといて、ふとしたきっかけで思い出した。
使わないカメラ売っちゃおうかな。カメラを売って運転資金にしてると、いずれ1台も無くなったりして。そうならないように今ある道具で精いっぱい稼がなきゃ!
順当な考え方に聞こえるけど、ちょっと首を傾げる。
今の状況に環境が合ってないかもしれない。だとしたら早く売って早く改めたほうが良いのでは?
今の環境を維持しようと張り切るのは大切。けどそれ手段を目的化するだけかも。筋の通ったものが一本あればいいけど、無いと目先しか見えなくなる。
旗揚げは必死だったのに、第2回公演からは来てくれた人にDM送るだけ。新規開店の時は必死なのに、お客さんが増えると常連さんの顔だけ見て経営するように。
「続ける」が目的になると本来の目的を見失う。他者を結ぶ場、居心地の良い場所の提供じゃなかった?暮らしの潤いや癒しになることの喜びじゃなかった?
そう考えると公演やお店の営業を続けるのも、どこに視点を置くかが重要になる。「続ける」じゃなく結果として「続く」と気付く。
そんなのどっちでもいいじゃん!それはする側の理屈。自分がお客様のとき、その接客は本当に自分のことを思ってのことか、売上を伸ばして店の維持のためか、見えてしまうと悲しい。「よくお似合いですよ〜♪」それは本心なのかー。
常連さんはそんな接客でも喜ぶ。けれど次々と「じゃあ次はこれ」要望が増えて振り回される。気付いた時は新規のお客様が減ってあせる、というしくみ。
「おかしいなあ、前と態度は変わらないんですけどねぇ」初めてのお客さんは空気を敏感に感じるからね。
これ、内側の視点しか無いと気付きにくい。作り手だけの店や集団は気付くのが遅れる。明らかに影響が出始めて、あわてて「今できること」に手を伸ばす。必要なものを切り捨て、新しいものに手を伸ばそうとする。
身を軽くして動きやすく...赤字の大企業もそこで「売れる部門」を売ってしまう。それ断捨離で必要なもののほうを捨ててません?
僕は何度行っても常連扱いされない店が好きだし、そんな店が居心地良いし、お客様も増えていくように感じる。
大丈夫。コンセプトやニュアンスが届いてないだけで、求めている人はきっといます。もっと自信を持ちましょう。今のままの方向で、もっと告知しましょう。...そんな言葉は、あせった人の耳に届きにくい。効果がてきめんに見える方法を欲してるから。
基礎体力が落ちた状態で即効性を求められても、トリッキーなことや目立つことなど限られてしまう。その効果も一過性だ。より強いエナジードリンクを求め続け、ぼろぼろに疲弊して、ついに立ち上がれなくなる。
試合にコーチと監督がいるのはなぜだろう。
劇団に創作と制作がいるのはなぜだろう。
お店に料理人と支配人がいるのはなぜだろう。
そんなことを考えながら自分に向き合ってみる。
おや?
たしかに自分のことは自分で見えにくい。